vol’10
流木にまつわる話をひとつ
ある頃から流木や剥がれた海藻などの漂着物が見える海岸は生きていると感じるようになった。大洗海岸は那珂川河口から近いので、川や磯の生きた感じを、波が浜の上に寄せ表してくれる。
こうした日常は20年以上見てきたけれど、いつの頃からかこのような海岸の佇まいが美しいと感じるようになった。
漂着した大木を見ると愛おしくてたまらない。
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流木にまつわる話をひとつ。
大洗磯前神社の鎮守の森にもうひとつ、江戸時代に創建された與利幾(与利幾)神社という小さな神社がある。大洗海岸の平太郎浜に漂着した流木をご神体として、漂着地の上にある大洗山の森に祀ったものであり、與利幾とは「利(商売繁盛)を与えることを幾(願う)」という意味らしい。
流木を祀ると漁は大漁になり、茶屋数件が出来るなど、賑わいをみせるようになったとのエピソードがあり、その後の宮下旅館街形成にも引き継がれたのではないかと思うような地域形成があったようだ。その一方で平安時代創建の大洗磯前神社は、その由緒から、暮らしの安定を願う「漂着した石」がご神体といった印象だ。
現在の大洗の暮らしや生業が、平安時代の「漂着石」と江戸時代の「流木」という2つの神話から窺えて面白い。