vol’01
夜想曲
窓を開けると早春の夜風が部屋に入ってきた。部屋の明かりを消すと息苦しさも消えた。波の音と潮の香が肌に染み込んでゆく。じんじんと震え続けていた神経はほぐされて穏やかに眠る。ため息のような、でも気持ちのよい深呼吸をした。
このところ、今日あった出来事とか明日の事とかが代わる代わる頭の中に立ち現れては取り囲み、心は社会の檻に囚われていた。メールもニュースも見たくない。部屋には日々の暮らしを急かせるものばかりがあって、最近は夢にまで出てくるので、睡眠も起きているのと変わらない気がして心地悪い。夜眠れないときはベランダに出たくなる。手摺まで寄ると、左右に広がった滑らかな黒い波の隊列がベランダの下の浜までゆるゆると打ち寄せて果てていたところだった。
見上げたら星は温かく輝いている。星は語らない。代わりに小さな光をくれるから優しい。それに春の夜の潮風は意外と温かくやっぱり優しい。そのことだけを感じていたいよ。瞬間、波がぱかんと岩を叩いた。
春の夜に聴く潮騒は夜想曲のようだ。ショパンの夜想曲をギターで弾くLaurindo Almeidaのような、丸みのある優しい音は夜を優しくする。繊細に弦を揺らしたギターが鳴らすのは、波がくすぐる色とりどりの浜辺の石の音。カラカラ、ジャリジャリ、素朴な音の粒。布団の中で猫がゴロゴロと幸せなリラックス声を出していることも思い出した。これも好きな夜想曲だ。